ブリュートナー
ドイツ、ライプツィヒ
Julius BLUTHNERは、ドイツのFalkenhainに生まれ、家具製作を職業としていました。彼はピアノ製作をSpangenburを始め何人かの師匠に学び、1853年、Leipzigに自身のアトリエを開きました。グランドピアノを製作し、ミュンヘンの国際博覧会に出展、高い評価を得た彼はザクセン王のお抱え楽器職人かつライプツィヒの音楽学校の指定業者となりました。彼のピアノ製造の質は上がっていき、アップライトピアノ製造でも高い評価を得ました。1864年には137人の職人を抱え、年間およそ3,000台のピアノを生産していました。1873年にアリコートシステムという天才的な発明で特許を取得。このシステムは、中高音から高音にかけてハンマーに叩かれない4番目の弦を加えることで、ユニゾンに調律された弦の共鳴により音色の豊かさを増す効果を得るものです。また彼はダンパーシステムやアップライトアクション改良について多くの特許を申請しています。彼はアップライトアクションに真鍮のフレンジを取り入れました。1898年頃には、すでに88鍵(La-Do)を持つ総鉄骨、交叉弦の1m30のアップライトピアノを製造しています。当時のピアノはブリュートナーのオリジナルアクション(シングルアクションにレペティションスプリングを取り付けた形)を備えており、1910年頃からはシュワンダーアクションを採用しました。Julius Bluthnerが1910年にライプツィヒで死去した時までの生産台数は81,000台に上りました。彼の息子たちにより製造は受け継がれ、それ以降の大きな発明はありませんでしたが質の高さと生産量は注目に値します。1920年までの生産台数は100,000台、1940年までには125,500台を記録しています。工場は第二次世界大戦中の爆撃により破壊されましたが、後に東ドイツ政府の補助により再建され製造を再開しました。アリコートシステムは今日もグランドピアノに採用されています。
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