クリーゲルシュタイン
フランス、パリ
"Jean Georges KRIEGELSTEINは、1790年頃アルザス地方のRiquewihrで生まれました。
彼は1815年にパリへ移住し、Blanchet et Mercierなど何人かのクラヴサン製作家のもとで職人として働いた後、ピアノ製作家Henri Papeのもとで5年間工場長を勤めました。
1850年にパリで自身のアトリエを開き、求めやすい価格のアップライトピアノや小さなサイズのグランドピアノ製造を始めました。
音楽界の発展に敏感で情熱的なピアノ製作家は、様々な発明をし、1855年、1862年、1867年、1873年、1882年、1885年、1894年、1897年の世界博覧会に臨み、1900年の博覧会では一等賞を獲得し、クリーゲルシュタインはレジオンドヌール勲章騎士章の受勲者となりました。
彼は1841年にアグラフを発明し、1846年にはダブルエスケープメントアクションの特許を申請しましたが、そのアクションはエラールのダブルアクションと区別するため「クリーゲルシュタインアクション」と呼ばれています。
1845年に最初の斜め弦のアップライトピアノを製作。その後、彼はグランドピアノに一体型の総鉄骨を導入し、アップライトピアノもそれに続きます。
Jean-Georges Kriegelsteinは1865年に死去しましたが、息子のCharlesが1858年より会社経営を引き継ぎました。
1897年パリのboulevard Bessièresにあった工場をOise県のDroittecourtに移し、たくさんの新しい機械を導入し大きな木材置き場を作るなどモダン化を図りました。
生産台数は増え、ベビーグランドピアノ(1m50)は大成功を収めました。時とともに改良されたそのモデルは、1925年~1930年頃には「モデルビジュー」(宝石)という美しい名で呼ばれました。
製造番号とクリーゲルシュタインのサインの入った製造証明書は常にグランドピアノの一部に貼られました。
Charlesの息子のGeorgesが1922年まで工場経営をした後、彼の義理の息子のMr Bouléが引き継ぎ、1931年に工場を閉鎖するまで経営を行いました。
金属の鉄骨と交叉弦、シュワンダーアクションを備えた1925年~30年頃のアップライトピアノは誠実な作りの頑丈な良い設計でかつ美しい寄木細工などを施された外装を持っています。
1930年の工場閉鎖までに、クリーゲルシュタインは25,700台のピアノを生産しました。"