パープ
フランス、パリ
Johannes Heinrich PAPEは1789年にドイツのSarstedで生まれました。パープは、ピアノ製造の歴史の中で最も天才的な発明家で、最も多くの特許を申請しました。彼はピアノ製作を始めはロンドンで、次にパリで学んだ後、プレイエル社で工場長を5年間勤めました。1817年、彼はパリにアトリエを構え、JEAN HENRI PAPEの名で彼の発明を取り入れたピアノの製作を始めました。彼は外装にこだわった美しいピアノを好んで製作し、アップライトの伝統的な形を変えてピアニーノや橋型ピアノ、コンソールピアノ、竪琴型ピアノなどを製作しました。パープは「逆さまのフランス式アクション」と呼ばれるアクション、一音につき6本の弦を備えたピアノ、斜め弦のピアノ設計、ハンマーフェルト(1826年)、そして硬化鋼の弦(1828年)などを次々と発明し、アップライトピアノの交叉弦の特許申請もしました。パリの彼のアトリエでは300人の有能な職人を雇っていました。パリ中が彼の新しい発明に注目し、博覧会で彼の試作品が展示されました。プレイエル社をはじめ競争会社たちは、高まり続ける彼の評判に我慢できず、団結して彼を批判しました。そして斬新過ぎた発明のために、彼は破産し、工場を失い、1875年困窮のうちに亡くなりました。パープは、グランドピアノのダブルエスケープメントを発明したセバスチャン・エラールに次ぐ重要な発明家の一人として、名を残しています。